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お金に惑わされない生き方。お金ってそもそも何?その4 -堀江貴文さんに学ぶ

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どうも。

相変わらずこの漢字やばいな(笑)

前回より、お金の歴史などを簡単にまとめていっております。

さて先日こちらの記事を読みました。とても勉強になりましたので、内容や感じたことを次にまとめていきます。記事は堀江貴文さんの発言の形で進められています。

gendai.ismedia.jp

いろんな著書で言っていることだが、お金はただの道具だ。それ以上でも以下でもない。ただし、道具としては万能過ぎるのかもしれない。だから誤解が蔓延っているのだろう。

お金の本当の本質は「信用」だ。 お金は、信用を数値化したものにすぎない。

 堀江さんは「お金=信用」と繰り返します。

物を手に入れる、人に貸す、ビジネスを進めるなど、必要な求めに応じてくれる信用を、国家が数値で保証している。流通しやすいよう一応、紙幣や硬貨としては存在するが、ただの紙であり、ニッケルや亜鉛に過ぎない。オンライン上の数値だけで、その役割は問題なく果たせる。

信用がお金の本質。

紙幣がどれだけ束になっていても、その物体に紙束という以外の価値はない。けれどほとんどの人は、財布に紙幣がたくさんある状態を、強く望んでいる。

紙幣をありがたがるのは、新興宗教の教祖の発行したお札を、ありがたがっている信者とまったく同じ。大事なのは教祖の説く教えのはずなのに、お札があれば幸せになれると勘違いしているバカと何も変わらないのだ。

これ以前の記事でお話しした内容ですね。

hiroakies.hatenablog.com

一方で、信者にとって信用が、お札にあるというなら、文句は言えない。お札に平気で何百万円も払ったりするのも、御利益という信用が、その代価なのだ。

たとえば会社の社長が1000万円で掛け軸の絵を買ったとすると、社員からは「なんであんなものに1000万円も払うんだ?」という声があがる。それは社員が掛け軸を信用していない、1000万円の価値を見出していないからだ。

人は自分の信用を基準にして、物の値段を決めている。紙幣や貨幣、つまりお金は、その数値の代理的な役割を果たしたものでしかない。

そういった基本的な概念は、簿記や会計を学べばすぐわかることなのだけど、ほとんどの人は教わる機会も、教わろうという気もない。残念なことだ。

私も簿記をぼちぼちやろうかな…。チャレンジ大事ですね。

ビットコインの出現でお金の概念が変わった、と言われる。けれど、私は別にそう思わない。ビットコイン中央銀行がなくても自律的に動く、バーチャルなお金のシステム。仕組みそのものは革新的であったかもしれないけれど、ネット社会では遅かれ早かれ出現しただろうし、お金の本質は変わっていないと思う。

お金とは信用のひとつの表現形態に過ぎない。逆に言うと、お金をたくさん扱っている人は、信用とは何であるかを理解している。

この「お金の本質は変わってない」ということが大事だと思います。ほんとに。そこを理解できていないと、こうした新しそうに見えるものを扱う詐欺師に騙されてしまいます。

10の信用があれば100のお金を集めることができるが、100のお金があっても10の信用は得られない。すべてのビジネスの成功者は、このことを理解している。

しかし注意しなければいけないのが、詐欺師だ。詐欺師は、信用を巧みに捏造する。捏造だろうと何だろうと信用が得られれば、お金を動かすことはそれほど難しくない。

何をもって本当の信用か、詐欺なのか、はっきりした境目は存在しない。実は詐欺師なのに信用のプレゼンがうまいから大金持ちになっている人は、ごまんといる。

逆に、きちんと信用に足るビジネスをしているのに、周りが「あいつは詐欺師だ!」と言いだすと、途端に詐欺師としか見られなくなってしまう例もある。私なんかは、そう言われたほうだろう。

お金や価値というのがそもそも実体の怪しいものであるからですね。

詐欺師の信用は所詮ニセモノなので、そのうち見破られるだろう。詐欺師に見られてしまった人は、信用が本物ならば、理解のある人が必ず評価してくれる。

本物の信用は、「お金(+時間) を自分自身の経験のために、どう使うか」「周囲の信用をいかに得ていくか」を真剣に考え、実践していくことで、生みだしていける。

大金持ちになった詐欺師が今でも大金持ちなら、きっとそれは見破られていないということではないでしょうか。私たちもこれをよくよく考えねばなりません。

本物の信用というやつは大事ですね。お金を贅沢のために使うのは浪費、将来のために使うのが投資です。格言でもなんでもなく、未来の自分が得をする、幸せになれることであればやるべきです。現在の自分ではなく、未来の自分がさらに豊かになっているためには?将来の自分がどのように他人の信用を勝ち得ていくか?という視点が大切だと思いました。

シンプルに言うなら、楽しむことだ。楽しんでいると自然に人は集まってくるし、面白い知識や経験値、人間関係が蓄積されていく。「この人にならお金をかけてもいい」とか「一緒に苦労しよう」と思われる、パーソナルな価値が信用につながっていくのだ。

世の中を見渡すと、「いくら貯めるか?」「どれだけお金を増やすか?」「何をして稼ぐか?」といったことばかり考えて、「どう信用を生みだすか?」とは、考えない人が多すぎる。

お金が欲しいなら、まず信用だ。大金の動く投資やビジネスで求められるのは、信用、それに尽きる。ビジネスは、信用を得ればOKだ。そこに多少のハッタリを加えると、さらに効果を発揮する。「やった者勝ち」は、信用を得るときにも使える技なのだ。

 「どう信用を生み出すか」というのは大事ですね。この辺で、「お金が欲しいなら」とこちらの「欲望」に向かって語りかけていますね。パワーワードだなと思います。参考になります。

私が見る限り、世の中は「やらない」やつばかりだ。考えているだけで、何にも行動を起こさない。

頭の中でビジネスプランを思い描くのは、みんな好きだと思う。しかし、そのプランを現実に移そうと実際に動きだす人は少ない。不思議なことだ。頭の中のプランを形にできるのは、本人しかいないはずなのに。

とにかくまず、走りだして、足りないものは走りながら、集めていったらいい。練習を積み重ねる必要はない。とにかく実践あるのみ。どんなに練習しようと、走りだしたあとの実体験に勝るスキルはないと思う。

これ本当に勇気が出る言葉です。いや、こういった決断は誰もが尻込みしてしまうために、勇気がないと前に進めない、ということでしょう。

そして何より実践が大切だと言っています。実践しないと身につかないですね何でも。

とにかく本番。何かあったらそのとき対処する。

事前の準備を変に大事にする人は、プライドが高いだけじゃないだろうか。はじめから失敗したときの理由づけをしているというか。

ダメだったら、またチャレンジすればいい。その程度のことだ。

実際に動きだすのは1~2%の人だけ
チャレンジの選択肢は多く持っておこう。何でもやることは、最良の自己投資だ。

時間にも限りがあるので、何度も試して次へいく。そうすることで少し前進できそうです。

サッカーと野球と水泳と簿記とパソコンを同時にやって、一番結果を出せるジャンルに最も多く時間を費やす。自己投資法としてはベストだ。気になったものは、何でもやってみよう!

以前、あるテレビ番組で高校生が「将来、農業をやりたいんです」と言っているのを見かけた。ビジネスとして農業に取り組もうという若者の姿勢は面白いが、将来とは、いつのことなんだろうか。いますぐやればいいのに。学校の名前で農地を借りて、まず野菜の栽培を始める。畑仕事は後輩に手伝わせてもいい。穫れた作物を無人販売所で売って、利益を出していけば、立派な学生ビジネスだ。

どうしてすぐやらないのか。農業は大変な仕事だから、受験勉強していい大学に入り、いったん就職して、充分に社会経験を積んでから手がけるべきという思いこみがある気がする。

これね。分かります。周りの人も私にみんなこう言います。

「リスクはとるな。挑戦するな。こけるな」

あほ言え(笑)そんなん無理じゃろがいと言ってやりたいですね。

経験のない人が失敗せずにうまく道を通ることができるわけがない。そして失敗を繰り返さない人が何を身につけられると?

安心して失敗できる機会が用意されないこともまた問題です。そもそも清潔で管理された状況下では強く賢く育ちませんね、どんな生き物でも。

繰り返すが、理屈をこねて止まらず、動きだすこと。何でもやること。成功をつかむには、このふたつしかない。私はさまざまなメディアで発信してきたけれど、実際に行動に移したのはせいぜい1~2%ぐらいだろう。

まあ1~2%しかいないから、動きだした人が成功しやすいという面もあるだろう。けれど、逆に行動しない人が、そのぐらい低いパーセンテージになった世の中のほうが断然、面白いと思う。

よーし。俄然やる気になってきたぞ(笑)

親の世代の常識も協調性もいらない
具体的に、どう動きだせばいいかわからない、何をやればいいのかわからないという若い人の意見をよく聞く。思うに、みんな体験の絶対量が少なすぎるのではないか。
たとえば高校の文化祭で、模擬店をみんなでやって、商売の楽しさに気づいたり。部活で部長を任されたら、コーチングに興味を持ったり。普通の学校生活のなかにも、体験のチャンスはいくらでもある。なのに多くの学生は、体験しようとしない。

豊かな体験ができていたら、面白いことに向かって、身体が勝手に動きだすはずだ。

確かにね。面白いと思えることなら、どんな自堕落な自分にでもできそうな気がします。

日本は、親が子どもの体験をコントロールしすぎているのかもしれない。子どものために体験を制御するのが、いいことだと決めこんでいる。

親の常識とか、先生の常識は古い。どうしようもなく古い。20~30年前の常識なんて、現代にはまったく通用しない。 子どもの行動をコントロールするのが、正しい大人の役目だと思いこみ、子どもの本来の可能性を摘んでいる。そういうことが教育現場に理解されていないのは、大変な問題だ。

まあ、仕方ないね。いつか自分たちも次世代に講釈垂れるんでしょう。そうならないためにも学びを大切にしなければ。

そもそも先生と呼ばれるお節介な役人が「社会で役立つ教え」を持ってやってきたことは今の今まで一度もなかったな。そんな人ほど横柄に接してきた気がします。

こちらにやってくる人でなく、こちらから会いに行く人(真の先生)が「社会で役立つ教え」を持っていたことが多かったなあ、と本当にそう思います。知識や経験というものの性質かもしれないですね。自ら学んで取りにいかないと、何も身につかなかったですね自分の場合は。 

だから結果的に何もに身についていないのかもしれないな(笑)とにかく何か動き出してみよう、と思います。(笑)

現在は経済の中心がグローバルなネット社会に移行している。求められるのはジェネラリストではない。個性的で、多様な変化に適応でき、そして競争に勝てるスペシャリストだ。

上司の顔色を窺い、空気をうまく読んで、「出る杭」にならない人が、プラスの評価を受ける分野は消えつつある。「先にやる」「動きの速い」、そんな「競争に勝てる人」が、どの分野でも重用されているし、成果を上げている。

おや、待てよ。

よくよく考えてみると、私は典型的に「後でやる」「動きの遅い」「競争を嫌う」人間じゃないですか(笑)

これは…。一体どうすればいいのか(笑)

自己実現のためには素早く行動し、実践に臨み、スペシャリストの競争力を伸ばしていかないといけない。

協調性なんかいらない。スペシャリストの才能があればいいのだ。

才能のあるところで楽しく仕事する。それで充分だろう。

なるほど。とにかく素早く動こう。そして何よりスペシャリストね。

ただ、自分に才能なんてあったっけ。どうこをどう探しても見つかりませんね(笑)特段、秀でるモノなんかないと思います。ましてや人様からお金をもらえるような才能はどこにもない。自分の市場価値は現在どう多めに見積もっても0円だ。

自分には才能がないから無理ですとか、選ばれた人しかできないです、などと言い返されることもあるが、わかっていない。

才能がないのではない。自分が何の才能を持っているのか、知らないだけだ。才能がないから協調性を大事にやっていくなんて、才能の探究をサボっている怠慢にしか聞こえない。

とにかく体験しよう。多くの体験でしか、才能を伸ばせる、ワクワクする楽しい何かは見つからない。言うなれば「ノリの良さ」だ。

プライドにとらわれて動きださず、才能を腐らせてしまうほど、バカバカしいことはない。ノリに任せて、あらゆる体験に臨んでほしい。

 「はっ!!!」

そうかもしれない…。。

 

以上、話をまとめると、「信用を得るにはとにかく早く動き出し、自分の才能に気づくこと。そして遊びや仕事を楽しむうちに、お金は後からついてくる」ということでした。私もこれには異論ありません。これからの時代はそうなっていくと思います。

 

俄然やる気が出てきましたね!

何でもやってみるっていいことかもしれません。

では今回はこれで。