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お金に惑わされない生き方。お金ってそもそも何?その3 ー堀江貴文さんに学ぶ

どうもです。

 

先日からお金の話してます。

下は自分が勉強のために、これまでに何度も観た堀江貴文さん(ホリエモン)の動画です。とても分かりやすく、これを無料で見れるのはすごいと思います。みなさんもぜひ見てみてください。もし分からなければ何度も繰り返すことをおすすめします。

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内容をまとめます。

現在、「お金はバーチャルな存在になった」そして「信用を数値化したものがお金」です。

企業にはB/Sがあり、その内容で信用が計れます。個人の場合も同じで、特に目に見えない価値である「無形固定資産」が信用をうみます。

例えば堀江さんの友人には、お金を払わずに六本木ヒルズに住んでいる人がいます。居候できることも一種の信用というわけです。他にもご飯を食べることができない時、知人友人に食べさせてもらったりすることも友人関係という信用が成り立つためだと考えられます。他にも会社に勤めて仕事をさせてもらう、お給料をもらうことなども信用によります。

また、借金できることはひとつの信用であるといいます。お金を借りることができる人はそもそも「返す能力がある」とみなされているということ。つまり、うまくいけば貸したことでお金以外のものが多めに返ってくる=貸す側にメリットがあるとみなされている場合があります。つまり、それも信用ということです。

「良い借金と悪い借金」についても紹介されています。「金利が0に近ければ近いほど、お金は借りるべきだ」という意見はとても頷けます。金融リテラシを身につけうる上で、とても勉強になります。

また、堀江さんは「IT 情報化社会」「グローバル化」が進展すると言っています。これからは世界中の格差が減っていく(平準化する)。グローバル化が進展すれば日本人だから付加価値がつくみたいな、国籍による特別扱いはされなくなるので、自分自身のスキル(信用力)を身にをつける必要があると言っています。

情報を収拾することも大切です。人より多くの情報を得れば、自分や社会が目指すより良い未来を選択できます。情報収集が人より何倍もできれば、優位に立つことができるというわけです。

 

感想・補足

よく出てくる概念である「情報の非対称性」について説明します。これは情報は双方に対して常に対称に存在していないという意味です。情報の非対称性は、市場に不均衡をもたらします。

これだけではちょっと分かりづらいですね(笑)そのまま言葉をくだいただけですので。

では少しずつ解説します。

経済学でよくいわれる例え話で「水は高いところから低いところへ流れる」というものがあります。これは「市場は自然に均衡状態へ向かう」ことを示したもので、何事も水のように高い所から低いところへ流れていくということをいっています。そしていずれ低くなっている方の水かさが増して水の流れは止まるのです。これが均衡と呼ばれる状態です。

例えば、何事も有料より無料。難しいものより簡単な方へ人は流れやすいですね?それらは人の流れ(つまり前回も少し触れましたが、経済人が起こす行動の集合)も同じですよ、という意味です。これを水にたとえているわけです。一度流れができてしまえば、人であっても同じこと。あるべき形となるまで水のように流れ続けるわけです。

情報においても同じです。しかるべき方向に向かって情報は流れています。

しかし、これをせき止める「何か」があるんですね。これは「規制」だったりします。こういった規制などがあるために情報が不均衡になるわけです。つまり、水が多いところは多いまま、少ないところは少ないまま、となるわけです。

これら規制を無くすことで限りなく均衡状態(市場のあるべき理想点)に近づけようとするのが自由経済になります。ちなみに知らない人もいたかもしれませんが、市場(しじょう)も均衡も経済用語です。 

 

情報の非対称性で私が印象に残っている話を紹介します。有名な話ですが、紀州のみかん売り「紀伊國屋 文左衛門」の話です。

文左衛門が20代のある年、紀州は驚くほどミカンが大豊作だった。収穫されたミカンを江戸に運ぼうとしたが、その年の江戸への航路は嵐に閉ざされていた。江戸へ運べなくなり余ったミカンは上方商人に買い叩かれ、価格は暴落した。当時江戸では毎年鍛冶屋の神様を祝う「ふいご祭り」があった。この祭りでは、鍛冶屋の屋根からミカンをばら撒いて地域の人に振舞う風習があったが、紀州から船が来ない事でミカンの価格は高騰していた。

紀州では安く、江戸では高い。これに目をつけたのが文左衛門だった。早速文左衛門は玉津島明神の神官で舅の高松河内から大金を借りてミカンを買い集め、家に残ったぼろい大船を直し、荒くれの船乗り達を説得し命懸けで嵐の太平洋に船出した。大波を越え、風雨に耐えて何度も死ぬ思いをしながら、文左衛門はついに江戸へたどり着く事が出来た。この時の様子が「沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国ミカン船」とカッポレの唄に残った。

ミカンが不足していた江戸でミカンは高く売れて、嵐を乗り越えて江戸の人たちの為に頑張ったと、江戸っ子の人気者になった。

次がポイントなんですね。普通の人はここで得たお金を浪費してしまうんです(笑)

大坂で大洪水が起きて伝染病が流行っていると知った文左衛門は、江戸にある塩鮭を買えるだけ買って先に上方で「流行り病には塩鮭が一番」と噂を流し上方に戻った。噂を信じた上方の人々は我先にと塩鮭を買い求め文左衛門が運んできた塩鮭は飛ぶように売れた。紀州と江戸を往復し大金を手にした文左衛門は、その元手で江戸に材木問屋を開く。こうして文左衛門はしがない小商人から豪商へと出世、富と名声を掴んだ。

彼は情報の非対称性をうまく利用して財を成したわけです。

 

情報の非対称性はうまく使えば財をもたらすことなります。また、自ら情報の非対称性の状況を作り出すことも可能です。

しかし、上記で説明したように時としてそれら規制が市場に悪影響を与えることも多いです。有名な話でいうとアメリカの中古車市場で起こった不均衡の話です。「レモン市場」といいます。

レモン市場 (レモンしじょう、英: lemon market) とは、経済学において、財やサービスの品質が買い手にとって未知であるために、不良品ばかりが出回ってしまう市場のことである。

レモンとは、英語で「良くない」「うまくいかない」等の意味があることから、転じて「欠陥品」「品行が悪い(女性)」などを指し、アメリカの俗語で質の悪い中古車を意味している。このことから、中古車のように、実際に購入してみなければ真の品質を知ることができない財が取引されている市場を、レモン市場と呼ぶ。

レモン市場では、売り手は取引する財の品質をよく知っているが、買い手は財を購入するまでその財の品質を知ることはできず、情報の非対称性が存在する。そのため、売り手は買い手の無知につけ込んで、悪質な財(レモン)を良質な財と称して販売する危険性が発生するため、買い手は良質な財を購入したがらなくなり、結果的に市場に出回る財はレモンばかりになってしまうという問題が発生する。

個人レベルではもうけとなっているかもしれませんが社会にレモンがあふれることで社会全体に不利益をもたらす不均衡状態が起こっています。規制はあるいみ個人的な選択として適切であるが、社会的には間違いであるといえます。言い換えると、ミクロ経済的には最適手となりマクロ経済的には悪手となりうるのです。

また、情報に限らず、世の中のあらゆる場所に非対称な現象が見え隠れしていると思います。この非対称性な状態が一定期間続き解消されない状態は、誤りだ(市場の失敗)と言われています。例えば、過去に戦争が起こった原因であるブロック経済などは貿易上の規制が原因で起こっています。自由経済が目指すのはこれら規制を取り除き均衡状態を目指すことですから。

 

 

疲れたので今回はここまでにします(笑)私の話が皆さんの何かに役立つといいです。上記引用はウィキペディアです。

では。