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お金に惑わされない生き方。お金ってそもそも何?その1

お金、お金、お金。

お金3つで鑫です。どうも私はhiroakiです。

 

さてみなさん、この漢字ご存知ですか?

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鑫には「お金が増える」という意味があります。お金のことばかり考えている人たちは目が鑫になっているかもしれませんね(笑)今日はそんな人たちへ向けて書きます。ぜひ何かの役に立ててください。

 

さて、私は大学の経済学部を卒業しました。特にお金が好きだったとか、お金に興味があったとかいうわけではありませんが、試験勉強などのため半ば強制的に(笑)お金というものが何なのか日ごろから考えることがありました。しかし今でも思いますが、ここで学んだ知識がじわじわと役に立ってきていて、お金に困ったことが少なくなりましたので、紹介してみます。

もちろんこれを知ったからといって湯水のようにお金が増えるわけではありません。私自身もお金はいつでも足りていないし、あればあるだけ欲しいと思っています(笑)ですが、そもそもお金とは何かという基礎の部分について押さえておけば、選択への迷いが減り、人生において精神的にお金に惑わされることはなくなるでしょう。またお金のために働く(奴隷になる)ことは少なくなくなるかと思います。

最近(というか昔から)、お金について全く分からず使っている人や、周りの言動に惑わされている人が多く、みなさん共通して疲弊していますので、ここで基本を押さえて楽になることを願います。

 

お金について、というと何だか大層な話に思えて気負ってしまうかもしれませんが、構えず気楽に読んでみてください。

お金の歴史を追う

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まず、お金の正体を明らかにするためには、お金の歴史を追わねばなりません。

世界はまず、物々交換から始まります。

物々交換をしていると分かりますが、食べものは腐るし、何やら作った物は錆びたり古くなったりするんですね。そのうち人は交換するものの価値が変わってしまうことに気がつきます。また、人は進化の途中で、手に入れたものを貯蔵し、未来に備えだすわけですが、交換物それ自体を貯蔵するには中々無理があると気がつきます。

そこで、金銀銅などの「貴重なもの」を物々交換の代わりに使うことを考えだします。これは国レベルでは交易などを通して元々行われてきました。

次に貨幣が生まれます。それは金そのものではなく、金貨という形で流通します。この金貨は一枚いくら分の重さの金です、というように測りやすいものでした。交易がやりやすかったんですね。「書物は金貨1枚」というと分かりやすいしやりやすいですね。こうしてお金が発明されます。

しかし、この金貨は買い物する時にいちいち持って運ばないといけない。しかも持っとくと盗難にあうかもしれないので危なく、重いし場所も取る。そうしたことから、「金貸し屋」なる銀行の走りが生まれました。彼らはお金を預かってくれる代わりに、今でいう通帳みたいな管理をしてくれるし、彼らに金を預けておけば小切手みたいなもので買い物できて便利です。人は貨幣ではなく、これら証書でやりとりを始めます。そうして段々、金が紙切れに代わっていきます。

また日本は藩という単位で領地が分かれて、城主が紙幣のお金を作りだしました。次第に世界の各地各国でも同じように紙幣が作られていきます。

こうしてくると、国によって、ひどい時には国の内部においても紙幣や金の価値が異なり、物を交換する際に不便だと分かってきました。世界が近代化し、国(政府)というものができた頃、しばらくして国内の複数銀行を束ねる中央銀行というものができます。

それからは中央銀行が舵を切り、その国の紙幣の価値を規定していきます。そして国中に証書を発行していくら分の金と交換できるかレートを決めました。いわゆる金本位制というものです。このころは「紙幣=金」だったわけです。

そして、歴史的事件として、ニクソンショックが起きます。アメリカが紙幣を作りすぎたため、もし取り付け騒ぎが起きて、みんなが一斉にアメリカの中央銀行へ訪れ「自分の金をおろしたい」と言い出してもそれを払い切れなくなってしまったのです。紙幣の発行量が金の保有量を上回ってしまったんですね。その結果、各国は対応に追われます。金本位制の廃止となりました。

しかし、すでにアメリカドルは世界中に流通してますから、各国政府で取り決めをして、ドルを世界の基軸通貨とすることに決めました。

 

現在は電子化が進んでいて、お金がATMに入金されれば、通帳に「〇円」と記録されますね。クレジットカードや小切手などの普及により、わざわざ日本銀行券を引き出さなくてもよくなりました。こうしてお金は今や実体のないただの「数字」となりました。

ではその数字は一体何を表すのか。それは「信用」です。

1万円を例に説明します。1万円はこれまで「中央銀行が決めた1万円分の金」を示していました。しかし、金本位制が廃止されたので、今では金と交換できなくなりました。その代わり、現在では「中央銀行がその紙幣にいくら分の価値があるか保証」していることとなります。怪しいですね(笑)

実は私たちの社会もその概念を基に法的に規定されているので、お互いにお金の価値が存在することを信用できるわけです。本来はただの紙切れなんです。そのため、紙幣に社会的、国際的信用がなくなればお金は一気にその価値を失ってしまいます。

例えば、お店で得た「ポイントカード」のお金だってお店と利用者との信用で成り立っています。お店がそのポイントの価値を保証しているから、そのお店で「お金と同等の価値」として扱えるわけです。もし私がお店に勘当されて出禁になったとします。そうしたら、そのお店のポイントカードは取り上げられてしまうんですね。同様の例でいきますと、以前、米国が北朝鮮の要人の資産を凍結すると宣言したことがありました。これも同じ原理です。もちろん日本国内でも同じことは起こりえます。つまり自分が社会的信用を失うことで、口座が凍結されることはあります。

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この概念が分かると、個人間でお金の貸し借りをした場合も同じだと分かります。お互いの信用によって、それが保証できているということです。このように、個人間が作る社会やその大きなまとまりとしての国家において、お互いの信用によってのみお金に価値が与えられ、存在していることが分かります。

 

歴史で大まかに押さえればいいのはこのくらいです。歴史事実は元々、あまり正確ではないのでこのくらいのものだと思ってもらって結構です。

細かいところはいいんですが、押さえねばいけないのは、お金は「形を変えてきた」ということです。しかも「存在自体が怪しいので誰かが保証しなければならない」ということです。しかしお金の「概念自体」は変わっていませんね。これがポイントです。お金を表現する形は変わるかもしれませんが、その本来の意味するところや使われ方、つまりお金の概念自体は変わっていません。「お金は何かを交換する時に使う媒体」であり「ものの価値を表現する基準」にすぎないということです。物々交換を思い出してください。また、お金が成立するためには「お金を規定する社会(コミュニティ)による保証と信用」が必要だということです。

 

 

ちょっと内容が長くなりましたので、続きは次回にしたいと思います。

では。